1.屋上 −SPRING− その1
つれづれなるままに、ここに来る…。
つれづれなるままに、取りとめもなく何かを考える…。
淡い香のする風が吹くこの場所では、
地上の心地いい風も、ここでは少々強くなる。
ここは屋上。飛翔綾学園のとある校舎の屋上・・・・・・。
でも、今日は、柔らかくて優しい風がそこにある。
桜の香のする、ほのかに甘い風が髪を揺らす。
髪が容赦なくばさばさ乱れるほどは、強くないから結構心地いい。
第3校舎と呼ばれるこの建物は5階建である。この学園の敷地内にはもっと高くて大きな校舎はあるのだが、なんとなく気に入ってたりする。
特にこの校舎の屋上は、お気に入りの場所のひとつである。
何せ、 景色が良く、なおかつ、人があまりいなくて静かなのだ。
ここに来るのに、何気に結構面倒くさい道順を行かなくてはならないし、他の校舎と比べて屋上に上がる階段もちょっと急だし、他にもわざわざ行く気になれない要素が結構あるのだ。
そんなわけで、あまりここに人は来ない・・・・・・。
結構居心地のいい場所なのだけど、実際ここに来た人間を私は僅かにしか見たことはない。
まあ、それはそれで気が楽なので、何も問題はないのだけれど。
ちなみに、生徒の間では、ここの校舎の屋上は、結構変り者が気に入ってしまう場所ということになっている。
そうなると、ここの場所を気に入った私は、変り者なのだろうか?
以前、ふと友達である大嶋 祥子にそのことをいってみると、彼女は
「そのとおりだ」
とあっさり答えた。
彼女らしいといえば、彼女らしい。遠慮というものがない。
もっとも、私も似たようなものなので人のことはいえないのだけど…。
でも、なんとなく、彼女は何かと私を“変り者”というカテゴリーの中に入れたがる傾向があるような気がしてならない。
おまけに毎度のように「君は変わっているからなあ」等と当たり前のようにいうのだ。
そのおかげで、いつの間にやら“神崎 絵理香は変わりモノ”ということになってしまったような気がするのだ。
…。確かに、私は変り者なのかもしれないとは思うけど・・・・・・。
まあ、否定はしない。多少自覚症状があるからというのもあるけれど、そんなことはそもそもどうだっていいことなのだ。
極論をいってしまうなら、別に私が変り者でもそうでなくても、自分の思い通りにできれば何だっていいのだ。私は私のしたいようにするしかないし、したくない。
それをとやかくいわれる筋合いはないし、そんな私を変り者だと思いたいなら、仕方がないかなと思うだけである。
それを捻くれているという人もいるけど・・・・・・。
でもって、そういう貴様はどうなんだと思ってしまう。もっとも、変り者じゃないことを崇め奉りたいなら、勝手に私に関わらないでやってくれと思うだけであるけれど。
そんな奴に付き合ってやらなきゃいけない道理はないのだ。
そんなことをするボランティア精神なんぞ、私にはないし、欲しいとも思わない。
所詮、人は人、自分は自分・・・・・・である。
とりあえず、他人について、やたらこだわっても、そんなに面白くはないのだ。
・・・・・・。意外とドライなのかもしれない。まあ、いいけど。
別に誰かが困るわけじゃない。
それは、ともかく、
「春だなあ・・・・・・」
屋上の手摺によりかかって、下を見下ろせば、桜並木の道が薄いピンクのリボンみたいにのびてて風にユラユラ花が揺れてる。
柔らかい桜の花びらが時々風に揺られて、散っていく。後少し経てば、盛大に散るようになって、気付いたら散り尽くして・・・・・・、そして、いつのまにか青々とした葉を茂らすのだ・・・・・・。
「桜かあ・・・・・・」
大概の日本人が好きな花だとされている春の花。
でも、私はそれほど好きではない。どちらかというと、嫌いではないのだけど、ちょっと苦手だ。
時々、ワザとらしいまでに咲き誇って、騒がしくて、嫌味な花だと個人的に思う。
同じ春の花だったら、チューリップが好き。クレヨンをなんとなく連想させる、にくめない形をした花が好きなのだ。なんとなく、素直に春を感じさせてくれる気もする。
桜のイメージ・・・・・・。華やかで儚いイメージ・・・・・・。
少しだけ不吉な花だと思う。
咲いてはあっという間に散っていく様は、早死の象徴のようで、なんか嫌な気がした。
日本人は昔から、それも奈良時代の後半あたりからは少なくとも、桜を愛でてきたらしいが、何故なのだろう…。ちょっと私にとっては謎である。
私は同じ儚い花でも、月下美人はカナリ好きだったりする。
少々矛盾している気がするけど、あの凛とした感じが好きだからなのだ・・・・・・。
「でもまあ、折角咲いているんだし、貶すのも可哀想か・・・・・・」
そういって、再び眼下の桜並木に目をやった。
寛容な心で見れば、桜とて美しいといったらあんまりなので、流石にそんなことはいわないけれど・・・・・・。
でも、寛容にならないと桜の花は綺麗だと見れないんじゃないかという考えは、しっかりるのだ。 なぜなら、桜は結構世話が大変で、虫とかもカナリ付くのだ。
ほっておくと、どうしょうもないことにもなる世話のかかる木のくせに、花が咲くのは僅かな期間である。なんとも傲慢な花な気がする・・・・・・。
でも、意外と、桜の花がずっと咲いているというのも、有難味がなくて嫌かもしれない。
なんとなく、ふとそう思う。
「鮮やかに咲いて、儚く散るか…」
それが、桜の美しいと思わせる所以なのか…。それが人の生きる様を思わせるのか…。
だから、古の日本人も現代の日本人も好きなのか…。
桜の花を人の一生になぞらえるなんて気はないけれど、それなりに多少考える。
「花のいろは うつりにけりな いたずらに わが身 世にふる ながめせしまに」
< 小野小町 古今和歌集 巻第二春歌下 より>
なんとなく、和歌を口ずさむ。結構有名な百人一首でも知られている小野小町の和歌である。
古典の授業の影響が微妙に出ているなと思いつつ、自分を花に例える歌を作るなんて、それなりに自分の美しさに自信がなければできないのでは?と脈絡もなくふと思う。
そして、自分の身が衰えていくのを花に例えて嘆いている歌でありながら、自分はこんなにも美しい(または美しかった)と何気にアピールしている和歌に思うのだ。
まあ、確かに彼女は美人で才能のあった人であるらしいが、ちょっといろんな意味で凄い女のような気がする。
こんなことをいったら、また大嶋ちゃんは捻くれてるというのだろうか…?
それはそうとして、小野小町は結構モテたらしい。
素朴な疑問だが、モテるとこういう感じになるものなのだろうか…?。
まあ、モテたこともないし、ちやほやされたこともないので、ホントのところはわからないのだけれど・・・・・・。
本人に聞いいてみたいが、当然聞けるわけはない。(聞けたらそれにこしたことはないが)
仕方がないから、一度、モテてモテて困るという人間に聞いてみるのもといいのかもしれないとふと考える。そうしたら、少しはわかるのかもしれない……。
うーん、暗い…。我ながら暗い…。
花咲く春の日、学校の屋上で考えるには、どうにもテンションが下がる内容である。
というか、小野小町のキャラクター像が、教科書とかそ〜いうのにのっているものからカナリ離れてしまった気が…。
でも、本当のところの小野小町の性格なんて誰も知らないのだ。
知っていただろう過去の人間はもういない。知りたくても本当のところは謎のままである。
この平成の時代に生きる人間は、ずっと1000年以上も昔のことなんて、文献だろ〜が、何だろ〜が、あったとしても、想像の域を越えることは所詮無理なのだ。
でも、それはそれでいいのかもしれない。
この場合は、想像の域を越えることができないというのは、いろんなイメージを持てるという可能性を持つものなのだとも考えてもいいと思う。
まあ、対象になる本人からすれば、いろんなイメージといっても、できればいいイメージを持ってもらいたいのではないかと思うのだけど…。
って、本当にさっきから考えている事が脈絡なく脱線しているなあ…。
桜咲く つれづれなるまま 屋上で ただとめどなく 脈絡もなく……。
そして、唐突にまるっきりそのままな状態の和歌がなんとなく出来あがる。
大嶋ちゃんやら、速水ちゃんあたりが脱力しそうな一句だなとなんとなく思う…。
私はしばらく、ぼ〜っと桜を眺めた。
「まあ、綺麗なものは綺麗だということを認めないほど、捻くれてはいないけど・・・・・・」
少し捻くれた見方で見ても、眼下の桜は美しい。
綺麗なものは綺麗なのだ・・・・・・。
屋上から見下ろせば、ピンクの柔らかそうなリボンに見えるワリと長い桜並木は、近くの校門まで、続いている・・・・・・。
放課後なので、その木の下を部活の生徒やら、帰宅する生徒が通っていくが、特に桜に気を止める様子はないようだ。
折角綺麗に咲いているのに、みんな、注目することなく、ただただ通りすぎる・・・・・・。
「綺麗でも見向きもされないというのは哀しいの事なのかもしれない・・・・・・」
なんとなく、そんなことを思う。
そんなに好きではないが、桜の花は可憐に色づき咲いている。
それに気付くことなく通り過ぎてしまう現実が少し哀しいと思う。
我ながら、桜はそんなに好きじゃないといっておきながら、そんな風に思ってしまうのだから、人間は結構妙な生き物なのかもしれない・・・・・・。
淡いピンクの桜花・・・・・・。
そういえば、昔は結構好きだったと思う。いつからあまり好きじゃなくなったのだろう?
同じ桜でも寒桜の朱雀という名の桜は、ずっと好きで今でも好きなのに・・・・・・。
白くて小ぶりな花を咲かせるその桜は華やかというよりは雪(サラサラで重たくないタイプ)のような楚々とした感じがする。
その白さが好きなのかもしれない・・・・・・。
この時期に咲く桜の色に、なんだか苦手意識を感じ始めたのは、小学校の高学年のころだったような気もする・・・・・・。
ごくごく自然にいつの間にやら苦手になった。そして今に至るのだ・・・・・・。
「さくらかあ・・・・・・」
この先、私は何度桜を見ることになるのだろう……。
そんなことをふと思う…。また思いつくまま脈絡もなく、そんなことをふと思う…。
1.屋上 −SPRING− その2に続く