　－４．ＡＳＡＴＯ　＜Ｐａｒｔ５＞　－　

　あたりは随分と暗くなってきた。遠くに、街の明かりが見える。
　さっきまで、私達がいた国も例外ではない。
　眩いほど、そして何処となく不気味に明るく国は光を放っていた。
　科学と魔学の発展、そして、それに追随された裕福さを誇示するように…。

　気が滅入る…。

　故郷であるはずの街光が、マリアを頼んでも無いのに思わせる…。
　聞こえないはずの耳障りな彼女の声、見えないはずの長く緩く伸びた艶やかな金色の髪、綺麗なはずの青い目…。

　彼女のイメージ…。

　彼女は、どうにもザラリとした不快で不吉なものを思わせる。
　決して、彼女は悪い造詣のものではない。いや、整っているはずのものであるのに…。
　そこに見えないけれど、ぞっとするほど不快で血すら凍りそうなもの、どろりとして粘着質な不気味なものが確かに絡み付くように、得体の知れないものが存在していた。
　それが、私に、なんとも気味が悪く、ねっとりとした不安感やら、嫌悪感やら、不快感を、嫌になるぐらい覚えさせた。
　それは、私の体内に何か入り込んで、血を腐らせて黒味の帯びたモノに変化させ、腐臭を発している状態にされたような…、そんな錯覚すら抱かせた。

「大丈夫か、アリア？」
　心配そうにアサトはいう。
「気分悪そうだぞ…？」
「そうかもしれない…。シュウが殺されて辛いのに、マリアのことが頼んでも無いのに思い浮かぶんだ……」
　正直に私はいう。彼女を思い浮かべて気分がよくなることなんて、ありはしない。
　なのに、もともと気が滅入っているというのに、いや、それだからなのか、次から次へとマリアのイメージが、これでもかといわんばかりに出てくる。
　そして、侵食する…。

　まるで、とても絶望的なタチの悪い病気の発作のように…。
　まるで、シュウの死のショックが媒体になってしまったかのように…。

　最悪だ……。

「…。なるほど。それについては俺も同意見だ」
　で、アサトはあっさりと納得した。
　マリアに恨みを抱いているだけあって、アサトは否定する気はないらしい。
「じゃあ、アリア…」
「うん？」
「折角だから、その思いをいっそのこと吐いたらどうだ？　幸いここには俺しかいないし、そんな女のことを心の中に大事に溜めておく事はないだろう？」
　ちょっと意表をついたことをいう。で、
「もっとも、さっきから、俺もアリアもそういうことを話しているような気もするけど…」
　確かにその通りだが、ちょっとなんとなく驚いた。
　そんなことを軽くいってくれるのは、シュウ以外はいなかったから、実をいえば、その意外さに若干びっくりしたのだ。
「いいの？」
　そういうと、彼はちょっと笑ったような気がした。
　車を運転していて彼の方を見るのは事実上不可能なので、気配で察したにすぎないのだけれど。
　妙なところで、シュウとアサトは似ていると思う。
「いいよ、そんなこと。それにね、泣きそうになるアリアを見るより、俺としては容赦ないことをいうアリアの方が好きなんだよ」
　で、アサトは少々妙なことをいう。
「何よ、それ…」
　どう答えるべきか一瞬考えてしまう。
　が、ちょっと不覚にも笑ってしまった。そして、不思議とほんの少し楽になる…。
「俺の趣味だよ」
　クスクスっとアサトは笑う。
「泣きそうな女は嫌いなの？」
「いや、好き」
「何だよ、それは…」
　何だかアサトだなと思わず呆れてしまう。
「泣いているアリアより、怒っていたり、容赦ないアリアの方が俺の好みなんだよ」
「どういう趣味しているんだか…」
　気分は少々複雑だった。

　しばらくして…。

「マリアがいうには、自分は選ばれた優れた人間だから、自分に尽くすことが国に尽くすことに通じる。だから、自分に尽くすのは当たり前なんだそうだ。それがわからないのは愚か者でしかないんだそうだ。呆れるぐらいいうものだから、覚えちゃったよ」
　で、折角なので、アサトの申し出を受け入れることにした。
　こんな女のことを話しても、何も発展性のないとはわかっているのだけれど…。
「……。確かにいいまくっていたな、あの女…」
　以前から狂った言葉を聞かされたのは、アサトも同じだった。
　だから、私と同様、マリアの話をするのは気分がいいものではないと思う。
　けれども、多分、実のところ、彼もいわずにはいられないのだろう。
　マリアの存在は黙って胸のなかに閉じ込めておくには有害すぎて、タチが悪すぎた。

「選ばれた人間だという過剰(かじょう)な自負がそうさせたのかもしれないがね…」

　自分でいいながら、ふと思う。
　人は選ばれた人間だと思い込むことで、人はここまで気が狂った思想の持ち主になり、異常な行動もできるようになるというのだろうか…？
　だとしたら、私はシュウに“選ばれた”人間なのだ…。
　私もマリアのように、救いようがなく狂ってしまうものなのか…？
　そう思うと、血が凍りついて腐(くさ)っていくような気がした。
　もしかしたら、気付かないうちに、私はこんなにまで嫌悪(けんお)しているマリアのような存在に、なってしまうのかもしれないのか？

「迷惑な話だ…」
　私は溜息を吐かずにはいられない。
「違いない…」
　同じような同意の溜息をアサトも吐いた。

　しかし、元々この国は、彼女だけのものではなかったはずだし、ないはずだ。ましてや、この国は“彼女”ではない。
　けれども、現実は彼女だけのもの、彼女そのもののように国はなっている。
　　それが、当然だといわんげに…。
　
　“誰”が〝何”が、彼女を選んだというのだ…？

　けれども、気がついたら、彼女はこの国の権力者だった。
　それについて疑問を持ってはいけないといわんばかりに…。
　まるで、それが揺るぎない不変で永久の理だといわんばかりに…。

「まあ、例えば、上層部からすれば、マリアは自分達にとってありがたい存在なのだろう。だから、崇(あがめ)め奉(たてまつ)れるのだろうよ、」
　不機嫌さを隠しはしないで、アサトはいう。
「確かに上層部からすれば、まあ、狂っていても能力はあるし、権力があるからな…。そういう人間が実際は私利私欲で言語道断なことをしていたとしても、どう考えても異常なことをしてたとしても、自分達にとっての都合のいい“国のための利益”になっているのだから、別に問題はないのだろう」
　そして、悟りきったことを私もいう。

　狂っているとしかいいようのない異常なプリンセス……。

　マリアはそういう人間だと確認したかったのかもしれない。
　そして、それをアサトに肯定してもらいたかったからなのかもしれない。
「“国の利益”ってなんだよ？」
　アサトは自嘲の笑みを浮かべる。
「“この国”についていうなら、マリアと上層部だけが守られ、異常なほどの貪欲な利益を得れることなんじゃないの？　他の者に対して、国の名の下に略奪(りゃくだつ)、窃盗(せっとう)を正当化して利益を貪れることじゃないの？」
　皮肉たっぷりにいってやる。
　マリアを見ているかぎり、“この国の利益”というのはそういうことにしか見えなかった。

　国のために、選ばれ私は存在しているのだから、私は何をやっても許されるのよ。

　私のおこなうことは、すべて正しい事なのよ。間違えなんてあるはずもないわ。

　国民は私のために尽くし、すべてを捧げ生きるのが、この国の国民の義務であり、最大にして最高の誇りであり幸福なのよ。それを素直に受け入れられない者は人間として許されるものではないわ。

　と、聞きたくもないのに、不快でしかないマリアの声が頭の中に響いた。
　以前から、マリアは私に向かってこう迷いもなく断言し押し付けてきたのだ。
　そもそも、会うたびに、飽きもせず私にそれを教え諭すように、当然だというようにいうのだから、覚えたくなくたって覚えてしまう。
　まるで、洗脳である。しかも、かなり悪質な……。
　だから、流石に呆れて果ててしまうし、とんでもなく気が滅入る。

　マリアのいうことは、とても受け入れたいとも思えないし、少なくとも私には、それを受け入れるのは正気の沙汰ではないのだ。
　たとえ、この国の国民の大半が、その彼女を崇拝しているとしても……。
　そして、マリアの異常さもさることながら、、その彼女を、受け入れ続け主とする“この国”の存在の異常さにも、私はいいようの無い吐き気を覚えいた。

　しかし、マリアが異常に狂っていたとしても、崇拝される理由は残念だがあるのだ。
　ただ、国の上層部に都合がいいというわけではない。
　この国は大半が老若男女問わず、科学者か魔学者と呼ばれる研究者達なのだ。
　そして、マリアは国に利益をもたらす研究をしている者には、“権力者”として奇怪なぐらい多額の研究費等を提供したり、名誉や位も与えるのだ。
　こういうと、一見良心的には見える。
　が、もっとも、それは“国”というよりは、“マリア本人”のために“都合のいい研究”なのである。
　そして、狂っているマリアが協力するような研究というのは、性格そのままに、どうにも最低限の倫理観すら疑うようなものとか、破壊のためのものというか、やたらにきな臭いものが主流で、聞くだけでおぞましいものも少なくない。
　　研究というのは得てしてそういう側面があることは否めないから、それをすべて否定することはできない。しかし、それにしても、考えてしまうものが多すぎた。
　少なくとも“国のため”なんていえる代物ではない。

　　だが、少なくともそういう研究をする人間にとっては、彼女は非常にありがたい存在である。
　通常なら、というより他の国では、迫害されたり、忌み嫌われたり、場合によっては処刑・処罰されてしまうもの達なのだ。
　　が、この国では、それはマリアという権力者によって賞賛されて、名誉・名声を与えられる。極論をいってしまうのなら、犯罪者が、ここでは国の英雄にすらなれてしまうのだ。そういう人間にとっては確かにマリアはいい統治者なのだろう。
　　それに、このタイプの研究者は自分の研究に金を惜しめもなく注ぎ込んでくれる人間が、狂っていようが、何だろうが、そんなことは関係ないことなのだと考える者が多いのだ。
　自分を評価し自分に協力をしてくれる…それがクリアできていることが第一なのだ。
　協力してくれない善人より、協力してくれる狂人の方が有難いということなのだろう。
　そして、その自分の研究をマリアは“国のため”という名目のもと協力してくれるというのだ。
　それによって、得られる恩恵も名誉も計り知れない。
　　自分の研究の世界にしか興味を見出さない、そんな科学者や魔学者にとっては、肝心(かんじん)なことはそういうことでしかないのだろう。
　その者達にとっては、確かにマリアは国の“権力者”(プリンセス)としては相応(ふさわ)しいのだろう。
　そして、賞賛(しょうさん)にすら値するのだろう。だから、この研究者達はマリアを永久に讃えるのだ。
　もっとも他の研究者（彼女に被害を受けている者）からすれば、当然害はあり、それもシャレにならないほど甚大なものなのだが……。

「この国のため、自分のために研究者が動くのは当然だと思い込んでいるからな、彼女は…。実際彼女のいいなりにこの国の機関は動かせるといえば、動かせるしね」
　アサトは多少抑えながら、でも、憎々しげにいった。
「まあ、彼女からすれば、自分に反抗するのは、国に反抗することでもあるから、俺の行動は許せない行為なわけだ。自分の為に研究者は存在していると思い込んでいるし」
「そうだね…」
　否定のしようがないことに私は頷く。
「でなくて、『私のために研究をしなさい。私に尽くすことが、この国のためなのだから』なんてことはいえないよ」
　マリアのその思いからくる行動に、本当に私も辟易する。
　暴君といって差し支えない常軌(じょうき)を逸した行動は、不快どころの騒ぎではない。

「でも、アリアはマリアなんて毒舌でやり返していたな？」
　で、アサトはちょっと茶化すようにいう。
「あまりにも有害で邪魔なものは、どうしても扱いが邪険になるよ」
　私はあっさりいう。本当にそれだけでしかない。
「それに私はあんなの女の家来でも奴隷でもないしね。そういうアサトもそうだったでしょ？」
「まあね。それが気に入らなかったらしいけど」
　アサトは溜息を吐く。
「純粋にこの国のため…、というかマリアのためだけに研究しなきゃいけないなんて状況を押し付けられて喜ぶわけないのにな…。拒否されるとは思っていないんだからな」
「マリアにとっては、この国の人間はプリンセスである自分のことを何よりも優先するのが人間としての常識なんだそうだ。だから、マリアの要求通りにするのが当然なんだそうだ」
　私はそんなことをいった彼女を思い出したくもないのに、また思い出す。
「……。あんな女のために俺のすべてをかけてきた研究データを譲(ゆず)るわけないのになあ…」
「それが理解できないんだよ」
　私もアサトと同じように溜息をつく。
「あの女が考えるみんなの幸せというのは、すべてを持ってあの女の為に身を尽くすことらしい。
それを喜びに思えない人間は気が狂っておかしいんだそうだ」
「･･････。なるほどね」
　アサトは苦笑する。狂った女がいう狂った常識、それが正常だと当然のように疑いもなく彼女はいうのだ。笑うしかない…。
　
　そして、私は更にいう。
「ちなみに、それを私は否定したから、つっかかってきたよ。『あなたはおかしい』ってね･･････。
『私に尽くすのが幸せなのにどうして拒否するの？』とか親切のつもりかなんだか知らないけど、呆れてものがいえない」
「狂っているな…」
　嘲(あざけ)るようにアサトはいう。
「でも、その狂ったマリアは、私をどうこうすることは結局のところはできなかったけどね」
　私は軽く笑う。
「私に対して、マリアは強攻策にでられないのよ。どうしたってね。シュウがいたんだもの…。
それに、シュウは私のいう事は聞いても、マリアのいうことは絶対聞かないし、マリアはシュウに嫌われたくなかったしね」
「ほう？」
「だから、理不尽なことをいわれたら、シュウのことを持ち出してたよ。大概キレて大暴れするけど、大したことないし。万一、私に何かあっても今度はシュウの方がキレたしね･･････」
　シュウは滅多(めった)にキレることはなかったが、本当にキレた時は恐ろしいどころではない。
　気が狂っている彼女でも、それは脅威(きょうい)ならしく、シュウのいる前では私に表立っては嫌がらせはしてこなかった。特に、私に絡(から)んだことでシュウをキレさせると、ロクなことがないとぐらいはわかっていたようだった。だから、余計にマリアは私が嫌いなのだろうとも思うが。
「アリアらしいな」
「そう？」
「シュウは何をいわれても、サラリとしているけど、アリアが絡むとそうではなくなるからな…」
「シュウにとって私は“大切なモノ”らしいからね」
　そういってくれた、つい最近のシュウを思い出す。
「愛されているな…」
　アサトはちょっとからかうように苦笑した。少しだけほっとしたようなそんな笑みだった。

「愛されているか……」

　が、私は“愛されてる”といわれると、妙な気がした。
　シュウには“大切”にはされていた。
　でも、それは“愛されている”というのだろうか……？

　そういえば、“大切だ”とは、いわれたけれども、“愛している”といわれたことはないのだ……。

　それこそ、一度も……。

「今、思ったけど、この国が崩壊したら、楽しそうだと思わない？」
　気が滅入りそうだったので、私は話題を変えるようにふといってみる。
「･･････。シュウと同じことをいうんだな？」
　アサトは酷く驚いたようにいう。
「この国に巣食っているマリアと上層部の連中が邪魔だと思うだけだよ」
　ただ淡々と思ったことを私はいう。いっていることに偽りは何もなかった。
「なんていうか、アリアってシュウにやっぱり似ているんだな…」
　酷く感心したように、またアサトはいう。
「そう？」
「なんかだか、シュウといるような錯覚がしてくる」
「シュウといるような錯覚…？」
「うん、時々怖いぐらい似ているよ、アリア…」
「じゃあ、口説かれる心配はしなくていいな？」
　少しだけ茶化すように私はいう。
「本当に似ている･･････」
　アサトはゲンナリしていった。

　こうしている分には、まるでいつもの日常だった。
　けれど、やはり、どこにもシュウがいない。それが哀しい。

　―　シュウがいない　―

　望んでなんかいない、残酷でしかない現実がそこにある。
　かつての私の“当たり前だった現実”は、もうここにはないのだ……。
　その揺るぎない現実が哀しい……。
　

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